周りに合わせる事から脱却できた凪が
”自分らしく生きる”お手伝いをします
初めまして 凪(なぎ)です。
ここでは私が人に合わせて自分の気持ちを無視して生きてきた結果どれだけ散々な人生を体験して、そこからどうやって自分らしく幸せに生きる事ができるようになったか少しお話しさせていただきますね😌
私は長女として生まれ、小さい頃から人が苦手でした。
赤ちゃんの頃も抱っこされると絶対泣いていたそうです😅
一つ下の妹、4つ下の誰もがカワイイ💖という弟が産まれて私は「お姉ちゃん」として生きてきました。
口が達者な妹と一つしか違わないと、何かと「お姉ちゃん」なんだから!と私が悪者にされる事が多かったと思います。
弟は目がクリクリで可愛くて、自分が使いたいオモチャも貸してあげなさい!と言われる事も多々ありました。
そうして毎日を送っていくとお母さんは下の子達を可愛がってるように思えて私は大切にされていないと思うように…
次第に自分がやりたい!食べたい!と思っても遠慮をするようになりました。
ある時なんて、家族でハンバーグ屋さんに行った時、本当は私もハンバーグを食べたかったのに、「私はお米が好きだからお米だけでいい」と言ってみんなが美味しそうにハンバーグを食べてる横で白米を黙々と食べてたりもしました。
小、中学生は更に周りに合わせる
小学校に行くのが嫌で1年生の時は毎日泣いて学校を遅刻するような感じで、3年生くらいから女子の中でどの男の子が好きかコショコショ話しで言い合うのが流行りまして…😩
「友達だったらできるよね?」みたいな事が多くて、私は周りに合わせる事を選びました…
合わせる事をしててもイジメられたり、無視されたりとどうしてそんな事をしてくるのか理解できませんでした。
ただ、悲しくて嫌な気持ちを抑えてやり過ごしていました。
小学校6年間クラス替えがあってもずっと同じクラスの男の子がいたんですけど、中学1年生になった時も同じクラス、そして隣の席!(ずっと同じってけっこうすごくないですか!😆)
普通に男の子とワイワイ話をしていたら、突然3年の先輩に呼び出されたんです。
先輩6人くらいに囲まれて、隣の男の子と仲良くするなと叩かれたり蹴られたり…
いきなりそんな事をされたもんだから、なにがなんだか分からずやられるがまま…😓
先輩の中に1人だけ私に手を出してこず、高みの見物をしてる人が1人いました。
あぁ、この人が隣の男の子の事を好きだから仲良くしてる私が目障りだったんだ…と理解しました。
それからというもの、先輩には目をつけられ、男の子とも普通に接する事ができなくなってしまって私はさらに周りに合わせて目立たないように過ごそうと決めました
こんな毎日を送っていたので、周りに合わせる事、目立たないように過ごす事は普通にできるようになりました。
突然の海外での高校生活
お父さんの仕事の関係で私達家族はアメリカに行くことになりました。
日本人は数えられるくらいしかいないような高校
皆さんも知ってるかと思いますが、アメリカは自分の意見を主張するのが当たり前。
今まで周りに合わせて目立たないように過ごしてきた私には真逆の生活…
全く馴染めませんでした。
何も言わない私にすごい嫌な顔をしてくる人もいたし、最初から日本人という事で嫌な態度をされる事も…
ここでは合わせたり、目立たないように過ごす事は許されなかったのです…
真逆の自分にならなくてはいけない暮らしは精神も心身もボロボロにしていきました。
血尿が出てしまい、家族の前で大泣きした時もお父さんは「そんな事で泣くんじゃない!」と怒鳴る始末。
なんとか自分の意見を出さなくちゃいけない時は頑張って出して過ごしていました。
しかし、アメリカの生活が2.3年経ってきたら、それも少しは慣れてきます。
アメリカ人の友達もできて、自分の意見もちゃんと伝えられる自由な感覚も増えていきました。
再び日本での生活
アメリカにいる頃から私は美容師になりたいと思うようになって、なんとか親も受け入れてくれて日本の美容専門学校に通うことになりました。
日本でバイトをしながら学校に行く生活。
ここでまた、アメリカに少し慣れてしまった私に日本のルールで頭を悩まされます。
日本で働くには細かいルールがいくつもありました。
黒髪、アクセサリーは派手じゃないもの。
時間はきっちり守る。
きちんとした身なりでお客様に不快を与えないように。
アメリカで自分のしたい格好で過ごし、ルールもアバウトな生活を送っていたので、細かいルールが窮屈に感じてしまう始末でした🥵
読んでいてもうお分かりだと思いますが、私は色んなことで怒られるハメに…
また日本で周りに合わせる生活が始まったのです。
あの時代、美容室で働く大変さ
なんとか美容免許も取り、専門学校も卒業できて美容室で働く事に!(がんばりました😆🔥)
学校でも頑張ってきた事をお客様相手に自分もやっていくんだ!と意気込んでいたのを覚えています🥹
その頃の美容師は上下関係が激しく、先輩のいう事は絶対。
朝から夜まで毎日練習の日々の中、先輩に毎日怒られながら頑張っていました。
胸ぐらを掴まれて怒られる事も…(怖かった🥲)
最初入りたての2年くらいは自分の時間なんてほとんどなかったと思います。
朝8時から夜12時くらいまでお店にいたので、家には寝る為だけに帰るような生活。
先輩達にずっと見られながら失敗しないように神経を張り続ける毎日になんとか自分を保ちながら精進するんだ!と奮い立たせないとやっていけない状態でした。
それが当たり前の時代だったし、私も当たり前のことだと思っていたので、今考えるとよくやっていけたなと思うばかりです。
同じ職場で付き合い始めた先輩
少しずつ慣れていった時、一つ上の先輩とお付き合いを始めました。
同じ職場って事もあって、私はいつも先輩の役にたちたい!とルンルンで頑張っていたと思います。
(もちろんお店みんなのお役に立つ努力もしてましたよ!😆)
好きな人がいるとなんで頑張れるんでしょうね🌝
その先輩とは7年も恋人としてお付き合いしました。
そしてついに結婚することに😊💓
同棲する事に葛藤
結婚するとなったので、その先輩と同棲を始めました。
最初は家具を決めたり、2人での生活を楽しんでる自分がいましたが、そのうち2人の性格の違いでケンカの多い日々になっていきました。
毎日同じ場所に仕事以外も一緒に過ごす。
皆さんも経験した事がある人はわかると思いますが、見えなかった部分が明るみに出てきて、それが自分と違うとモヤモヤするやつです😕
喧嘩しながらも頑張ってる中、なんと1人目を妊娠しました🤰
結婚式もやるつもりだったので、妊娠中も頑張って式の打ち合わせに行ったりもしました。
私はつわりがひどく、身の回りのことができず横になっていることが多かったです。
1日中吐き気と闘いながら、夜その先輩が帰ってくると安心するし、少しだけ元気になりました。
そんな時に言われる言葉が
「なんだ、意外と元気じゃん」でした。
私は身の回りのことができない不甲斐なさもあって、その言葉を言われるのがとても苦痛に感じてしまいました。
元気なら動いて家事、掃除してよって言われているみたいだったからです。
最悪な結婚式
妊娠7ヶ月で、結婚式もあと1週間になりました。
私はお腹の子も順調に育ってくれて、やりたい場所で結婚式もできる日が近かったので、とても幸せに穏やかに過ごせていました☺️
そんな時に彼が友達と海に遊びに行くというので、快く行ってらっしゃいと送り出しました。
海についても何気ない連絡のやりとりを彼ともしていましたが、いきなり連絡が途絶えました。
私はちょっと不思議に思いましたが、遊ぶのに夢中なんだと思って帰りを待ちました。
夜遅めに帰ってきた彼に今日はどうだったか聞いてみました。
言葉少なめに話して終わらせようとする彼に違和感を感じました。
こーゆう時の女の勘ってすごいですよね😎
彼は疲れていたのかすぐに寝てしまいました。
私は女の勘がどうしても収まらなくて、彼のケータイを見てしまったんです
そう、女の勘は当たってしまいました…
連絡が途絶えてから彼は海で出逢った女の子達と楽しく遊んでいたんです。
密着して写真を撮っていたり
「良かったらご飯食べに行こう」
女の子にそんなLINEを送っていました。
私は身体全部が心臓になったように全身がドクドク脈打ってました。
頭の中は
なんでこんなことできるの?
私がいるのに他の女の人と遊べるんだ
子供も産まれるのに、なんで?
結婚式どうしたらいいの?
気持ちを鎮めないと赤ちゃんに影響しちゃう
色々な思考がいっぺんにグルグルし始めて身体が震え始めました。
彼を叩き起こして、今日の事を問い詰めました。
「ごめん」と言うけど、そんな悪い事をしたとは思ってない言葉が返ってきます。
その日から、私はベットの上で涙を流して動けなくなりました。
ご飯も食べたくない、何もしたくない…
幸せで穏やかな気持ちから底のない真っ暗な穴に突き落とされた気分でした。
彼もどうにか私を慰めようとしますが、ただ虚しいだけでまた涙が出てくるだけでした。
結婚式当日、重たい気持ちのまま式が始まります。
私と彼以外は今日はとてもめでたい日だ!と祝福ムード。
誓いますか?の返事に喉が詰まりましたが、少し沈黙してなんとか「誓います…」と言ったのを覚えています。
結婚式はただ周りの人達を喜ばせる為だけ。
空っぽな私がみんなの為に振る舞っている時間になりました。
内心全く笑えない気持ちでしたが、私はその日1日中ピエロになりました。周りに合わせてきた私には1日中ピエロの仮面を被ってやり過ごす事が容易くできてしまったのです。
最悪な結婚式から2年後
私は昔から我慢強いねと言われてきましたが、あんな結婚式になったにもかかわらず、赤ちゃんも産まれてその後も頑張って3人で生活していました。
そんな時に2人目の妊娠。
そんな時にまたです。
彼が多額の借金をしている事が発覚しました。
何に使ったのか聞くと、自分の好きな物を買ったり、ギャンブルに使ったりとの事…
我慢強い私もお金の事を隠して好きなように使っていた事はものすごい腹が立って妊娠して間もなかったので、2人目は堕ろそうと考え病院に行きました。
でも、堕ろすことなんてできませんでした。
心臓が動いてるのを見たからです。
この子をナシにする事はできない…
病院の帰りに外なのに他人の目を気にする事もできないくらい泣きじゃくりました…
どうして私は普通の幸せな生活を送る事ができないの…?
心のモヤモヤは晴れないまま結局2人目の赤ちゃんも産みました。
それから少しして、今度は彼の帰りが遅くなる事が増えたので、また女の勘が働きました。
彼のカバンからよくわからない薬が出てきたんです。
何かと聞いてみたら、風俗に通っている時に使う物だと…
私は女としてもこの人に必要とされていないのか…
また私に隠しごとをして自分のやりたい事を優先するのか…
もう何度もガッカリする出来事が起こってますが、とうとう我慢の限界がきました。
プツリと何かが切れる瞬間でした。
私は離婚を決意しました
あれだけのことをしてきたのに、彼は離婚は嫌だ、ちゃんとするからやり直したいと言ってきました。
女の人は突然離婚を決めるのではありません。
私も今までの事があって、色々考えていたから離婚に踏み切ろうと思えたのです。
私の気持ちは揺るぎませんでした。
父親がいなくなる子供達の事を考えたり、これから3人でやっていけるか不安はありましたが、私がこのままではずっと幸せじゃない
ここまできてようやく自分の気持ちに素直になったのです。
再出発と新たな出会い
実家で暮らしながら、新しい生活が始まりました。
離婚の手続きにはとても時間がかかり大変でしたが、私の心は前を向いていました。
新しい仕事場は店長が自分のルールで動かないとすぐに不機嫌になる女性で、実家にいる時は母が家の事をやらないとイラついてる様子で、慣れない生活の中で2つの場所でも気を使う生活でした。
私は正直気を使う生活に疲れていました。
そんな時に、気軽に話せる相手が欲しくて、初めてマッチングアプリを使ってみました。
やりとりを始めてすぐにあぁ、みんなこんな感じかぁ😩というほど、すぐに会いたいとか、カラダ目当てな感じのやり取りが多い中、1人だけ何気ない会話をずっとしてくれる人がいました。
この人も私と同じ何気ないやりとりがしたい人なんだと親近感が湧いてきて、普通のやり取りを3ヶ月もしていました。
やり取りをしていくうちにいいな🥰と思ってる自分がいました。
いつか会いたいと言ってくれるかなーと思ってたんですが、その人は一向に会いたいと言ってこなかったので、私の方がデートしましょう❤️とアタックしたくらいでした 😂
(その時の彼は会えるのは1年後くらいかなと思っていたそうで中々な心構え🤣)
少しずつデートを重ねて、彼も私も一緒にいられたらいいなという想いが募っていきました❤️
彼は2人の子供達の事も大切にしてくれて、前の人とは正反対な性格でこの人となら私の望む普通の幸せな生活ができそうだなと思いました。
再婚して4人での生活が始まり、新たな不安が
離婚してから2年後、私は4人で新しい生活を送っています。
引っ越しもして、4人でワイワイ楽しい日々を過ごしていました。
夫は家事も掃除も何も言わずに手伝ってくれるし、相手の事をまず考えてくれる人です。
(こんな人本当にいるんだなーくらい私には天然記念物に見えます🤣)
しかし、私はこの生活に段々と疲れていきました…
見捨てられ不安
私は夫が前の人のように他の女性と遊んだり、お金を借金し始めたりしないだろうか、嘘をついてほしくなくて常に不安になり、ちょっとした事も気にかけるようになりました。
夫は色々やってくれるけど、相談なしに行動して事後報告が多い。
他人の気持ちを汲み取るのが苦手。
嫌だった事を伝えても理解せずに自分の主張をしてくる。
そーゆうところもあって、私はまた必要とされない人間になってしまうんじゃないかと毎日頭の中でぐるぐると考えが止まらなかったのです。
ケンカする事も増えてしまいました。
そして、とうとう家庭内別居にまでなってしまったのです。
何もかも嫌になった私は寝室に1ヶ月もの間篭りきりで、夫が家にいる時は絶対に会わないようにしていました。
その間、夫が週末ご飯を作ってくれたり、掃除もしてくれたり。
夫は夫なりに私が会いたくない事も理解して受け入れてくれて、家の事、子供達の事もできる限り色々やってくれました。
そんな夫の行動を毎日感じて、子供達も心配してくれて私はこのままではダメだ…
と心の底から思いました。
たった1回のカウンセリングでスッキリした自分
このままではダメだ…と思ったところで何をどうすればいいのかわからなかった私はとりあえずオンラインで30分お試しでカウンセリングを受けられるところで話してみる事にしました。
カウンセリングをしてもらうのは初めてで、上手く話せるか、どう思われるだろうか不安もたくさんありました。
でも私には自分で解決できなかったので、話すのが怖かったけど頼るほかありませんでした。
そのカウンセラーさんと話していくうちに夫との事で相談していたはずなのに、なぜかお母さんとの事がふと出てきました。
そしてお母さんと昔あった出来事で私はカウンセリング中に号泣してしまったのです。
私の中に忘れていた記憶が蘇り、お母さんにされたり言われた言葉でとても傷ついて、そこから私を大切にしてくれない、見捨てないで!が根っことしてあったのです。
お母さんにしてほしかった事はどんな事?と言われ、私は素直にこうしてほしかったという事をたくさん言葉で言いました。
カウンセリングでたった30分で号泣したあげく、私の気持ちはビックリするほどとてもスッキリしてまいました。
どうしてもっと早くカウンセリングしなかったんだろうと思うくらいでした。
そこからです。
私が変わり始めたのは。
私はもっと変わりたいと思って3ヶ月間、カウンセリングをしてもらいました。
それでさらに
私には昔から
大切にされたい
私を受け入れてほしい
そんな気持ちが心の奥底に隠れていたんだ、とわかった事。
その気持ちは少しずつ自分で自分を癒す事ができると知った事。
他人を変えるんじゃなくて、自分の気持ちを受け入れてあげて、私はどうしたいの?とちゃんと対話をしてあげる事。
どうしたいのか相手に勇気を少し出して怒らずに伝えてみる事。
そうする事で、徐々に私が私を大切にしてあげている事に気づいて、心も不安でモヤモヤしない自分になっていきました。
そして今ではモヤモヤしちゃった自分も認めてあげる自分になれていきました。
私達は感情を持った人間です。
モヤモヤしたり、悲しくなったり感情が揺さぶられる事は当たり前なのです。
そんな事思っちゃダメだ!とか
こんな事を思う私はダメな人間だ…と
その感情を無かった事にしたり、捻じ曲げようとするから人は苦しくなってしまう。
だから、素直にそうなった自分を受け入れる事。
ありのままの自分でいいんだよ
と自分で自分を認めてあげる事。
そこまでできたらみんな苦しむ事が減って、自分らしく生きていけるのだと思います。
自分1人でそこまでいくのは難しいところもあります。
誰かに頼ることが苦手だった。
今まで他人に口にするものではないと思っていた。
でも、本当はどうしていいか分からないから誰かを頼りたい、誰かに話してわかってほしい。
そんな私も今では人に頼ることができるようになれたし、自分の気持ちも素直に言えるようになってきました。
なので、1人でぐるぐる悩んでいる貴方に
ありのままの自分になる体験をしてきた凪が自分らしく生きるお手伝いを一緒にできたらと思っています。
お試しカウンセリングもお待ちしております!